『 癌 』

 5か月ほど前、義兄が小細胞肺癌と診断されました。
男兄弟がいない私には、秘かに最も頼りにしていた義兄でした。

 

先日、母が終末期を迎えたと宣言されて、まさかの時には、色々と相談に乗ってほしいと思っていた矢先の癌の宣告です。
症状は重篤でステージは4!

 

手術は出来ないくらいに組織にへばりつき、すぐに抗癌剤の治療を始めますとのこと。
CTの画像を見ながらの医師の説明は、努めて平静を装っているのかもしれないが、なんとも事務的である。
4クールのつらい、つらい、いろんな意味でのつらい、急を要する抗癌剤治療の決定である。

 

お互いに、いつ、何が起きてもおかしくない年代に差し掛かっていると、ボンヤリながら覚悟しているとは言え、突然、現実的に生死の問題を突きつけられると、強がりが言えないくらいにモロイ。

 

強がっている様子が見て取れる義兄を、それでも「治療をすれば大丈夫だから」と何の根拠もない励ましをして、帰路に着いた。

 

帰る途中の頭の中は、ついに自分たちの番がやってきたんだなと、改めて覚悟しなければいけないなと心に言い聞かせた。

 

姉との結婚以来、長い付き合いの義兄!
お互いの家族の喜び、悲しみ、行事ごとの一つ一つを分け合って過ごしてきて、やっと穏やかな日々が訪れて、今が一番いい時間を過ごしていたはずだったのに・・・

 

なんとも寝苦しい夜でした。


無駄遣い・・・

旅は身支度から始まります。
仕舞ってあった古い道具を探し出し、修理や整備をし、以前同様の働きができるようにして、足りない分は継ぎ足して、準備万端。

 

以前は、焙煎、ドリッピングに重きを置いていましたが、最近はそれに加えて湯温、粉塵除去などを勉強しました。
リッピングポッドに温度計を取り付ける細工をしたり、パウダーコントロールボックス的なものを自作したりして、以前よりもレベルアップしたつもりですが・・・
この自作が意外と気に入ってしまいました。
色んな部品をどう組み合わせるか楽しくて、趣味のプログラムに通じるところがあり、毎日DIYホームセンターなどをハシゴしました。

 

いま使っているミルが風車でコーヒー豆を砕くタイプのもので、微細な粉塵が多くなり結果として、雑味が強くなるということが解り、新しくミルが欲しくなっているところです。

 

「欲しいな~」とは言っているのですが、「そんなの要るの?」 「今あるのはどうするの?」 「それが腕じゃないの?」と言われると、「そうだよな」と意気消沈してしまいます。

 

奥さん・・・


バーミュキュラ鍋のときも、痩せると言われるサプリのときも、肌に良いと言われる化粧品のときも、経済的だからと勢いのないシャワーヘッドに交換した時も、「そんなの要るの?」なんてかわいそうな言い方したことがありませんよ。

 

ともかく今あるもので、腕を磨くしかなく、誰かがミルをプレゼントしてくれるだろうと夢を見ながら、時々自作の道へも進みながら、手で回転させるタイプの焙煎器で、何も考えず、何とも言えない無の境地で、クルクルと廻しながら生豆を焙煎するわずかな時間に救いを求めて・・・日々精進しています。

趣味と言えるか・・・

最近またコーヒーにハマっています。

 

コーヒーをよく飲んでいたのは、大学生の時です。
例にもれず、ギリギリまで寝て、ご飯も食べずに飛び出す時代でした。
しかも面倒くささと時間のなさから、ブラックインスタントコーヒーでした。
しかし、おこちゃまからちょっぴり大人になった気分も味わったものでした。

 

結婚してからは、時々ゴリゴリとグラインダーで豆を挽いて飲んでいましたが、特別にコーヒーが美味しいとは思っていませんでした。

 

50歳前後ごろに、ネットで「○○式コーヒーの淹れ方」なるものを見つけて、淹れ方によるコーヒーの旨さの違いに目が覚めました。
みんなに教えたくて、みんなに自慢したくて、専用の器具や豆を揃えてコーヒーを淹れることにハマり、焙煎も自分でやるようになりました。
自分で焙煎して、自分で挽いて、自分でドリップするコーヒーはなんて美味しいんだろうと自画自賛でした。

 

少し飽きてきたころに、同じような淹れ方で妻がコーヒーを淹れるようになり、「少し違うんだけどな・・・」と思いながらも、自分が楽だからそのまま妻にお任せしました。
妻は、焙煎まではしませんので、やがて業務用のコーヒー豆を買ってきて淹れるようになり、切らしたときにはインスタントコーヒーになり、そしていつのまにか自分でインスタントコーヒーを作るようになり、気が付けばインスタントコーヒーの美味しさと手軽さにハマっていました。

 

退職して、時間ができると「小人閑居して不全をなす」のことわざ通り、またもや昔のことを思い出し、仕舞ってあった器具を引っ張り出し、YouTubeの動画を探し出して美味しいコーヒーを求める旅へ旅立ったのです。

 

つづく・・・

長生きのわけ・・・

昨日は母の見舞いに行ってきました。

 

母は特老の施設にお世話になって、15、6年になります。

その間に3軒の施設を替わってお世話になり、13回忌になる父の死も施設の部屋から手を合わせました。

 

通うのに1時間ぐらいかかる遠い施設もありました。
毎週のごとく通った施設への道も、大排気量の新しい車になった頃は、海沿いの見晴らしの良い長い道のりは、快適な楽しいドライブにもなっていました。
今はずいぶんと近い場所になったので、そして市街地を抜けて行くので車を運転する楽しさは半減しています。

 

代わりに、いつの間にか決めたわけでもないのに、姉二人と一緒の曜日、一緒の時間に訪問しますので、妻を含めた女三人の姦しさに付き合うことになります。
毎週会うのによくもまあ笑って話せることがこんなに沢山あるもんだと感心するぐらいに、近況を報告しあったり、日ごろのストレスを発散しあって時間が経つのを忘れます。

義理の間柄、小姑の間柄のはずの姉たちと妻が仲良くしているのは、夫としては安心で何も言うことはないのですが、時の経つのを忘れた、男が居ることも少し忘れた、永遠と続くだろう女同士のよもやま話を何時、何処で打ち切るか、難しい・・・

 

寝たきりの母は、言葉を発することはありませんが、その話声を軽く微笑んだ表情で、日課になっているだろう昼寝も忘れて聴いています。
母が長生きしてくれているのは、我々にこんなひと時を持たせて、姉弟を仲良く過ごさせようと考えてくれているのでしょう。

 

帰るときには、「お母さんのこと忘れとった」とか「うるさかったね」とか言いながら、また来週の訪問を口々に約束しながら帰ります。

 

「大正」「昭和」「平成」そして「次の年号」、3つの年号を生きた人は、私たちも含めて珍しくはないでしょうが、母のように4つの年号を生きる人は、少し珍しいかもしれません。


お母さん、いつまでも長生きしてくださいね。お願いします。

年寄りの冷や水?

もう、一月経ってしまいました。

サイトの方から、お叱りではありませんが、そろそろ動けよという連絡をいただきました。


早いもので、もう一ヶ月です。
思い切って開設したものの長い時間が過ぎ去っていました。

 

この間、全然何もしなかった訳ではなかったのですが・・・
記事もいくつか書いています。
しかしいざ公開となると、踏ん切りがつかなくて、つい一日伸ばしにしていました。

まるで、私の人生のよう・・・

 

言い訳ついでにもう一つ。

 

プログラムに熱中していました。

今、熱中しているのはWindowsExcel上で動くプログラム(VBA)です。
Gameとかではなく、自分以外に殆ど役にたたないもの・・・。
でも作るのが楽しいのです。

 

これだったら、夜遅くまで起きていても苦になりません。
予約して録りためた映画やドラマも沢山観ないままになっていても我慢できます。
プログラムが上手くいかなくなったら寝て、たぶん夢の中で解決法を探して来て、朝起きたらそれを実践する。
そんな生活を送っていました。

 

自分の通りたい路を、まるで阻むが如く立ちふさがるPCを、何とかなだめすかして通してもらったり、あるいは迂回しながら通ったり、またある時は新しい路を作ったり、野を越え山を越え、海を渡り、川を泳ぎながら目的を果たす。
その駆け引きがたまらないのです。(わかるかな~)

 

年寄りの冷や水・・・こちらの方が解りやすいかな?

若者もすなるブログを老人もせんとてするなり

日誌のような・・・

ブログという手段があるのは、少し前から知っていました。
そんな文才もなく、そんな度胸もない私は、羨ましく思いながらも、自分は絶対にやらない!  そんな風に思っていました。

でも、
年を重ねてくると、仕事を辞めてみると、家族が遠くなってくると、自分の心を伝える術と機会を日々なくしてきました。
照れくさくて面と向かっては言えない自分の想いを、感動して涙してしまった出来事を、悲しくて死にたくなった時の想いを自分自身が忘れないでいたい。

それは、どうすれば・・・

まさに、徒然草のごとく、つれづれなるままに、よしなしごとをそこはかとなく、書きつづりたくなったのです。
気が向いたときに、思い出したときに、同じような体験を感じたときに、順不同で少しだけ入力が出来ればいいのです。

今の若者は自分の想いを、自分の気持ちをうまく伝える術を知っています。
そんなに上手くはとても出来ないけれど、若者のブログを真似て、何とか自分の気持ちを書き綴ってみようと思い立ちました。

自分の想いを、自分が思っていることを、自分自身が忘れないように・・・