長生きのわけ・・・

昨日は母の見舞いに行ってきました。

 

母は特老の施設にお世話になって、15、6年になります。

その間に3軒の施設を替わってお世話になり、13回忌になる父の死も施設の部屋から手を合わせました。

 

通うのに1時間ぐらいかかる遠い施設もありました。
毎週のごとく通った施設への道も、大排気量の新しい車になった頃は、海沿いの見晴らしの良い長い道のりは、快適な楽しいドライブにもなっていました。
今はずいぶんと近い場所になったので、そして市街地を抜けて行くので車を運転する楽しさは半減しています。

 

代わりに、いつの間にか決めたわけでもないのに、姉二人と一緒の曜日、一緒の時間に訪問しますので、妻を含めた女三人の姦しさに付き合うことになります。
毎週会うのによくもまあ笑って話せることがこんなに沢山あるもんだと感心するぐらいに、近況を報告しあったり、日ごろのストレスを発散しあって時間が経つのを忘れます。

義理の間柄、小姑の間柄のはずの姉たちと妻が仲良くしているのは、夫としては安心で何も言うことはないのですが、時の経つのを忘れた、男が居ることも少し忘れた、永遠と続くだろう女同士のよもやま話を何時、何処で打ち切るか、難しい・・・

 

寝たきりの母は、言葉を発することはありませんが、その話声を軽く微笑んだ表情で、日課になっているだろう昼寝も忘れて聴いています。
母が長生きしてくれているのは、我々にこんなひと時を持たせて、姉弟を仲良く過ごさせようと考えてくれているのでしょう。

 

帰るときには、「お母さんのこと忘れとった」とか「うるさかったね」とか言いながら、また来週の訪問を口々に約束しながら帰ります。

 

「大正」「昭和」「平成」そして「次の年号」、3つの年号を生きた人は、私たちも含めて珍しくはないでしょうが、母のように4つの年号を生きる人は、少し珍しいかもしれません。


お母さん、いつまでも長生きしてくださいね。お願いします。